令和7年度企画展
「書類のなかの戦争-戦時下の埼玉に生きた人びと-」
終戦から80年を迎える本年、当館では初めての試みとして、戦時下の埼玉を取り上げた企画展を開催します。
昭和44年(1969)の開設以来、当館が収集・保管・公開してきた様々な書類のなかには、日中戦争勃発から太平洋戦争終戦へと至る、戦時下の埼玉の様子を伝えるものが含まれています。本展はこうした書類を通じて、戦時下の埼玉の人びとが戦場へ赴く兵士を見送り、貯蓄や物資供出に勤しみ、空襲に備えた様子を探ります。
当館が収蔵する書類の幅広さに触れていただくとともに、過去を振り返り、未来への指針を考えるきっかけとなる展覧会です。
チラシはこちらからダウンロードできます→書類のなかの戦争(A4チラシ).pdf
1 会 期 令和7年6月7日(土曜日)~9月7日(日曜日)
国指定重要文化財「埼玉県行政文書」原本展示
8月14日(木曜日)~8月17日(日曜日)
2 開館時間 午前9時~午後5時
3 休 館 日 毎週月曜日と国民の祝日、および7月31日(木曜日)
4 会 場 県立文書館 1階 展示室2
5 展示解説 8月16日(土曜日)、8月17日(日曜日)
午後2時~午後2時20分(事前申込不要)
〔会場〕当館 3階 講座室 〔講師〕当館学芸員
※両日とも同内容です。
6 展示構成
プロローグ 開戦と書類
昭和16年(1941)12月8日、真珠湾攻撃により太平洋戦争が開戦しました。
この日、『埼玉県報』では、戦争に至った経緯や日本の正当性を説く告諭が示され、また、県民に対
してはビラを通じ、戦争への協力を求めました。
埼玉県が発したこれらの書類からは、幅広い層が理解できるよう複数の媒体で戦争の意義が説明さ
れるとともに、戦争という現実に対処するための具体的な決まりごとや指示が発せられたことが窺え
ます。
〈主な展示資料〉《告諭第2号》大詔渙発県民覚悟ニ関スル件(埼玉県行政文書 埼玉県報216)
宣戦大詔渙発等ビラ(原本:秩父市立秩父図書館蔵、複製:当館蔵(C15633 No.69))
第1章 見送る人びと
太平洋戦争開戦の4年前である昭和12年(1937)に日中戦争が勃発して以降、中国大陸での
戦局は拡大し、多くの人が兵士として動員されるようになりました。地域における兵士の見送りの様
子やのこされた家族への援護の中身などが書類からわかります。
〈主な展示資料〉[出征風景](川田氏収集文書11117)
入営軍人の答辞(川鍋家文書636)
第2章 貯める人びと、差し出す人びと
戦争には資金が必須です。戦費が必要であるとの宣伝を伴い貯蓄が奨励されました。集められた
のはお金だけでなく、家庭の様々な物資は軍隊使用のために供出されました。戦争は生活よりも優
先されるべきことになったのです。
〈主な展示資料〉貯蓄報国強調週間実施ノ件通知(埼玉銀行文書30-10)
金属回収によって供出された二宮金次郎や楠公像(県史編さん資料2973)※パネル展示
第3章 空襲に備える人びと
昭和18年(1943)、ガダルカナル島撤退やアッツ島玉砕など戦局が悪化し、翌年にはサイパン
島が占領され、米軍による本格的な本土空襲は必至となりました。
空襲に備えた対策が書かれた書類からは、人びとが空襲のなかにあっても日々の暮らしを続け
られるよう努めた様子がうかがえます。
〈主な展示資料〉昭和十九年以降職員会議録(埼玉県教育史編さん室移籍163)
防空用貯水槽設置ノ為県庁敷地ノ一部使用ノ件(埼玉県行政文書 昭4150)
エピローグ 終戦と書類
昭和20年(1945)8月15日、昭和天皇による玉音放送により太平洋戦争の終結が人びとに伝え
られました。埼玉県は翌日、互いに力を合わせ、心を一つにするよう告諭で県民に対して呼びか
けました。しかし戦争が終わっても人びとの暮らしにおける混乱は続きました。
〈主な展示資料〉「県庁の大火」(戦後報道写真S230040-01-00135)※パネル展示
【開館時間】
午前9時~午後5時
【休館日】
・月曜日(県民の日に当たるときは、その翌日)
・毎月末日(令和7年5.8.11月.令和8年1.2月の末日は開館)
・祝日
・年末年始(12月29日~翌1月3日)
・特別整理期間(令和7年5月14日~23日、10月22日~31日)